学校給食ハラル対応に反対

学校給食におけるハラル対応については、多文化共生や子どもの人権を守るという視点がある。でも一方では多くの人が「なぜ学校でそこまで?」という違和感や戸惑いを抱いている。
この「違和感」の裏側には、日本特有の社会構造や、公教育におけるルールと宗教観の違いなど、いくつかの大きな論点が存在する。

  1. 「特定の宗教的規範」を公教育に持ち込むことは良いのか?

日本の学校教育は、憲法で定められた「政教分離原則」を基本としている。そのため「豚肉やアルコールを一切使わない」、「専用の調理器具やハラール認証肉を揃える」といった対応を公立学校が導入すると、「教育機関が特定の宗教のルールを公認・支援している」という強い違和感や懸念が生じる。

  1. 他の要望との「公平性・バランス」の疑問

日本の学校給食の現場では、すでにアレルギー対応や、個別の栄養管理などで手一杯な状態が続いている。「アレルギー対応ですら、現場の負担や設備上の限界な状態のに、なぜ宗教的な理由にまで公費や労力を割かなければならないのか」という疑問が生じる。

  1. 「日本の食文化やこれまでのルール」が変わることの疑問

ムスリムのためだけに、これまで使われていた食材や調味料が排除されたり、メニューの選択肢が限定されると、「これまでの日本の給食のあり方そのものが大きく変わってしまうのではないか」という文化的・心理的な抵抗感が生じる。

  1. 「どこまで配慮すべきか」という疑問

宗教や食の戒律はイスラム教のハラルだけではない。ユダヤ教のコシェル、ヒンドゥー教の牛肉忌避等、世界中のあらゆるルールの個別対応を学校がどこまで引き受けるべきかという、「際限がなくなることへの不安」もある。

仮に日本人の親子がイスラム圏の国に移り住んで、「豚肉を食べたい」と言って対応してくれるだろうか?そんな事は絶対にありえない。自分達の権利ばかり主張して相手の言い分を聞こうとしないのはアンフェアな話。相互主義の観点からも学校給食ハラル対応に反対だ。

そもそも論だが、一定の地域に同じ国の出身者が多数存在する場合(例えば川口市)は、日本人と同じ学校に通う必要性があるのかと思う。ただでさえ忙しい教師は外国人の対応に明け暮れ疲弊していく。そして日本の子供達の学力は低下する一方。

民意に反してどんどん外国人を入れている日本政府。もう少し受入側にも寄りそうべきだ。